『司書になった本の虫』が発売されます

新刊明日発売です!

郵研社から拙著『司書になった本の虫』が発売されます。

〈主な内容〉

第一章 昔、図書館にあったもの 
第二章 江戸時代の図書館物語 
第三章 稿本という夢の形  
第四章 蔵書を守る人  
第五章 ブックレビュー「記憶と記録」 

本文238ページに16ページのカラー口絵がついて、2420円(税込み)

公共図書館の本質

  宮城県図書館に残る古典籍の多くは、青柳文蔵をはじめとし、仙台藩及び宮城県ゆかりの書物蒐集家の寄贈を受けて収蔵されたものである。先人の著作に学び、自身の思索や発見を加えて新たな著作を創り出し、家蔵書物と共に寄贈する、その連綿とした繋がりが公共図書館の本質ではないだろうか。
 生涯をかけて蒐集した1万冊の書籍の散逸を怖れ「青柳館文庫」の永続的維持を望んだ青柳文蔵が選んだ道は「公廉詳密」(私欲なくけじめがあり行き届いてもれがない)(倉記)であるべき管理者である「仙台府」に蔵書を託すことだった。

 つまり文蔵は「書籍は我々が寄贈する、運営管理者は「公廉詳密」である公的機関が永続的に行わなければならない」と言っているのではないだろうか。今の指定管理者制度はその正反対であって。資料費もしくは資料選択権は地方自治体が持つ。運営管理は利潤を追求する民間企業でやってみてくれ。というようなものではないかと思う。

日本図書館文化史研究会で講演しました

演題「<青柳文庫>江戸時代における蔵書の蓄積と公的貸出」
早坂 信子

概要
天保二年(1831)、仙台藩が青柳文蔵の蔵書献呈を受け入れ「青柳文庫」を開設し、藩吏が書式を定めて無料で個人貸出を始め、城下の人々が盛んにそれを利用したとき、それは近代公共図書館に限りなく近い存在だった。江戸時代における公立図書館の先駆とみなされる「青柳文庫」の誕生から宮城書籍館設立までの50年間の歴史を仔細に辿り、近世から近代に跨る蔵書の蓄積とその公的貸出を考察することによって、日本独自の図書館文化史を描く。

1.はじめに
「青柳文庫」は、伊達家12代家主伊達斉邦が、江戸の富豪青柳文蔵の献上した約1万冊の書籍と維持資金千両を受け入れ、天保2年(1831)に設立した日本における公共図書館の先駆とされる。書籍は仙台城下の中央、百騎丁に位置する医学校の南側敷地に築かれた土蔵の文庫に収蔵され、専ら「宅下げ拝借」とよばれた貸出サービスに供された。
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その蔵書印「市井臣文蔵献仙台府書」にみるごとく、「仙台府立図書館」の書籍として府の目付二人が貸出通帳で管理し、領内の士庶(一般公衆)に無料で貸出したのである。(右図参照)

2.青柳文蔵という人物
 文蔵は町医者の家に生まれ武士階級出身ではないため藩校教育を受けなかった。しかし基礎的な教育を寺子屋や父から受け子どもの時から読書習慣を身につけて育った。その性格は極端な負けずぎらいであったが忍耐強く、先見性に優れた資質を備えていた。勘当されて江戸に出ると困窮に苦しみながらも読書による独学で稼業を見出して貨殖に努め、豊富な財力を背景に学者達との交流を通して書籍を蒐集していった。
 長男が早逝し養子を迎えたものの蔵書を託せる後継者に恵まれなかった文蔵は、晩年に入り散逸を怖れて蔵書の活用法や託し先を探し始めた。収集した蔵書や蔵貨の目録編集に始まり、書籍目録や人物誌の編集に取組みながら、漢籍や和書の分類法、著者目録法、著者名典拠調整など、書誌学や現在の図書館学に通ずる知識を身に付けるとその成果を目録や著作としてまとめ、完成を機に蔵書を手放すことを決意した。

3.養賢堂と医学校の違い
 文庫を中心とした独学を重視する理想の藩校設立を願い、初め水戸藩の彰考館、次に仙台藩の養賢堂に献納を申し出たが、総裁青山延于と学頭大槻平泉は「致富の道正しからざるを責め」賤業を理由に断った。若い頃から医者や儒医との人脈を大事にし、医書を医学生に貸出して支援し続けていた文蔵は、あきらめることなく医家人脈を頼んで仙台藩に再度献納を申し出た。藩主はこれを受諾し医学校敷地南を立地として文庫を創設し管理運営を行うこととした。仙台藩が城下の中央百騎丁に文庫設立を決め、蔵書管理を医学校教員に兼務させ貸出運用を藩目付にすることができたのも、養賢堂とは違う医学校独特の開明的校風があったからこそと言えよう。「衆庶の患者を医し」、町医者にも開放していた医学校でなければ、文蔵の「学業を望みながら貧しくて書籍購入の困難な士庶誰にでも無料で貸出す」という願いは実現できなかったと思われる。

4.長期維持のための工夫
 散逸を怖れ「青柳館文庫」の永続的維持を望んだ文蔵が選んだ道は「公廉詳密(私欲なくけじめがあり行き届いてもれがない)」(倉記)であるべき管理者である「仙台府」に蔵書を託すことだった。しかもその維持費用として千両を献呈し、郷里である磐井郡松川村に籾倉を建て籾4千石を貯え置いて藩吏がこれを貸し付け利息を取って青柳文庫の修理や経費にあてるよう図ったのである。この籾倉「青柳倉」及び「青柳倉碑」の建材と石材もまた藩が用意した。「青柳倉碑」及び「青柳文庫碑」両碑記の選者である松崎慊堂は「朱子社倉之法」を理論的根拠として引用し、藩の仕事として藩吏をもって経営が続けられるよう説得力のある撰文を作って文蔵の義挙を支援した。農民出身ながら当代随一といわれた儒学者松崎慊堂の撰文を得て、「青柳文庫」設立の思想的根拠が石碑として残ったのである。しかし「青柳倉」は、早くも天保七・八の凶荒で蔵穀が全て放出された。以後青柳倉の再建は叶わなかったが、青柳文庫は仙台藩によって明治4年の廃藩置県まで維持運営が続けられた。

5.藩政時代の利用状況
 蔵書内容が幅広く、よく利用されため途中で廃れることなく明治初年まで存続することができた。仙台領内の近世文庫の書籍を積極的に利用し、独自に時代を突出した先駆的著作物を残した人物として龍宝寺文庫の芦東山、名山蔵文庫の林子平が有名であるが、青柳文庫の場合は、記録に残るだけでも『欠伸閑語』、『田海録続』、『承庵雑記』、『自家記録』等の著者である第4代桑原�璧朝、芦東山の『無刑録 一八巻』を評定所に備えるよう寄贈した文人岡蔵治らが知られる。

6.近世文庫から近代図書館へ繋いだ人々
 明治新政府による接収や公売命令にもかかわらず、青柳文庫の完全な散逸は免れた。半ば以上が仙台地方に留まり、明治8年(1875)官立宮城師範学校がその当時仙台に残っていた「官私所在の図書類」殆どの受け皿となったためである。3年後に明治政府の財政悪化によって廃校された際、校舎、備品、機能もろとも公立仙台師範学校(宮城師範に改名)に引き継がれた。幕末頃7千冊余りに数を減らしていた青柳文庫の書籍中、約4千冊がこうして藩有から国有へ、さらに県有へとバトンタッチされたのである。宮城書籍館はこの宮城師範学校の講堂など二棟の建物と蔵書の一部を譲り受け、同校が保有していた養賢堂文庫と青柳文庫を蔵書の基盤として誕生し、132年後の現在に至るまで県立の公共図書館として活動を続けている。

7.おわりに
日本における近世文庫から明治以降の近代図書館への歴史的な流れを、設立の趣旨や蔵書の継承を中心にある地域において一貫して考察できるケースというのは少ないと思われる。しかも江戸時代にパブリックライブラリーでありかつコミュ二ティライブラリーでもあった史実が近世文書によって具体的に確認できる例として「青柳文庫」の存在は見逃せないものといえる。青柳文庫は、明治維新や仙台大空襲といった2度の試練を経て、今なお宮城県図書館の古典籍の中核に、図書館の社会的役割を指し示してくれる象徴として存在する。

挿図文献
図) みよし三好きよあつ清篤著「士民青柳館蔵書借覧ノ図」(『修身図鑑』松柏山房 明治二六刊)斎藤報恩会博物館蔵

<青柳文庫>の図書発刊(2013年8月20日)

『公共図書館の祖青柳文庫と青柳文蔵』 早坂/信子‖著
出版者。 大崎八幡宮(仙台)
出版年。 2013.8
シリーズ名。 国宝大崎八幡宮 仙台・江戸学叢書 50
ページと大きさ。 70p/21cm
分類。 NDC9 版:010.2123
内容細目。 青柳文蔵という人物 / 江戸の蔵書家達 / 「青柳館文庫」の生成と文蔵の著作 / 仙台領内の文庫事情 / 「青柳文庫」の誕生 / 「青柳文庫」の冊数 / 青柳文庫の散逸。

発行所 大崎八幡宮 (〒980-0871 仙台市青葉区八幡4丁目6-1)
    電話 022-234-3606  FAX 022-273-1788
    http://www.okos.co.jp/oosaki/
価 格 600円 (仙台市内 金港堂書店各店舗でも扱っています)

このブログの記事と著作権について

宮城県議会の議事録から多数「引用」と「転載」をさせて頂いております。長文演説の場合は原則として発言議員から了解を得ましたが、多くは国会会議録検索システムのF&Aを参考にして判断しました。
つまり
「検索の結果である個々の発言内容の利用は、その著作権者(多くの場合、発言者)と利用者の関係になります。国会会議録の性格上、個々の発言のほとんどは著作権法第40条第1項の「政治上の演説」等にあたると思われます。その場合、著作権者の許諾なく利用できます。」
http://kokkai.ndl.go.jp/KENSAKU/www_faq_top.html
しかし行政職員についてはできるだけ役職のみとし、固有名詞は削除しました。
また県議会議事録以外の転載記事については執筆者から許諾を得ております。

古典籍移管中止の請願採択後の方針を問う

◆(相沢光哉委員) 
 所管事項ということで宮城県の図書館の資料移管問題についてお伺いをさせていただきます。
 時間も迫っていますのでなるべく簡略にいたしますけれども、改めて申し上げるまでもなく、既に今移管そのものは中止あるいは停止、凍結というのか、ストップをしているわけであります。教育長は本会議での答弁におきましてこの問題を論点整理をしていきたいということで、一時は有識者会議も開くようなお話もあったわけでありますが、それは何か新年度になってからなのかはっきりしなくなってきておりますけれども、この件は調べれば調べるほど図書館の資料移管問題というよりも図書館の資料移管事件、大変この起こった経過、不透明で不自然な事務手続あるいは教育委員会でこのことが報告も審議もされなかったという経過、そして、特に、だんだん明らかになってきているわけでありますけれども、図書館長が図書館協議会の会長に対してこの問題を協議をすべきだという話が出たときに極めて不適切な暴言を吐いたということを複数の職員が証言をしているわけであります。今日もただ、図書館の館長のポストにあるために、事あるごとにやはり職員に対して威圧的な言動があって、現在の宮城県図書館は極めて不正常な大変息が詰まるような不穏な状態に陥っております。
 これはこういうことをだれが考え、だれがどこでそれを進めようとし、そしてまた、そのことについてどう図ろうとしたのかということはだんだんいぶし出されてきておりますけれども、少なくとも宮城県の図書館が我が国における公共図書館の先駆けとして由緒を持つという名声あるいは評価、機能というものを大変損なってしまったということについて、私は教育委員会、特に教育長の責任というのは十分重いものがあると考えております。
 そこで、こういう状態の中で論点整理をするというふうな対応になるということ自体が、これだけのことがあってあからさまになり、そして、その不当性というものを議会も請願を全員一致で採択をしたというふうなことから態度を明らかにしているように、教育委員会としては、あるいは教育長としてはこの件はまさに誤った考えのもとで進めてしまったという反省と責任をまずしっかりと表明してから、そして、いろいろと論点についての検討をするならいいんだけれども、今言ったように図書館長の暴言というものもそのまま放置している形になっています。
 御承知のように、図書館協議会の会長は、館長から、全く聞くに堪えないおまえ呼ばわりをされながら、文句があるなら教育委員会に言えとか、おまえにつべこべ言われる筋合いはないとか、あるいはおまえの図書館像は古い、考えを改めろとおまえ呼ばわりで罵倒されているわけです。そういう管理職がいるということ自体、本当に県教育委員会、社会教育上も大変な問題だと僕は思います。
 ですから、そういうことに関しての責任の所在も一切ほおかむりしたままこの論点整理と称するという、まずは感覚自体が理解できないんだけれども、改めてその点について現在での教育長の御見解をまずはお伺いしておきたいと思います。
◎(教育長) 
 この移管問題は今経緯を振り返ってみますと、平成21年ぐらいから検討を始めたわけでありますが、その問題意識といたしましてはいずれ図書館の収蔵スペースが手狭になるだろうということがありまして、それにどう対応するかという問題意識の中で、現在の図書館が持っている貴重な資料、これが現状の保管の状態でいいのかということが、もう一つの問題点としてありまして、この貴重な資料の保管の一つの方法として24時間空調がなされている歴史博物館の収蔵スペースに持っていくということが一つの対応策として考えられるというふうな発想から、具体的には平成21年の秋に当時の教育次長をトップとして生涯学習課、それから文化財保護課、そして図書館、そして歴史博物館の職員が集まって検討組織をつくりまして、具体的な対応を協議をして検討を進めまして、平成22年の秋ぐらいまでに基本的な考え方をまとめて、御承知のように図書館で持っている青柳文庫、伊達文庫、養賢堂文庫、そういったものを歴史博物館に移管した上で県民にできるだけオープンにするという方向がいいのではないかということで、ことしの2月補正で予算をいただいてやるというふうな運びになっておったわけであります。
 しかしながら、いろいろな御批判がありまして、あるいは請願も出て採択されということで、その動きは停止をしたわけであります。今、相沢委員から反省をというふうなお話ありましたが、これは再三御答弁しておりますけれども、平成11年、それから平成13年に同様に図書館から歴史博物館に一部資料を移管したという経緯がありましたものですから、そういった流れの中で今回もいわば事務的なレベルでの処理でいいんだろうというふうに私は思っておったわけでありますが、しかしながら、後でいろいろ指摘された問題点を振り返ってみますと、平成11年、13年の移管とは重要性が違うということだと認識を新たにしてまいりまして、今回の移管の重要性についての認識が私としては不十分だったなという反省はございます。
 したがいまして、一たんリセットして改めてさまざまな角度から論点整理をして、その貴重資料を将来的にどう保管するのがいいのかということを時間をかけて検討していきたいというふうに思っているところでございます。
◆(相沢光哉委員) 
 今お話のあった平成11年ないし13年に東北歴史博物館に一部の資料を移管したのは、ちょうど東北歴史博物館が新しくオープンをするということから、当時の博物館協議会、そして図書館の協議会がともに一つのテーブルで協議をした中で、古文書、要するに手紙類です。これを博物館で展示することに同意をしたという経過があるわけです。ですから、今回のように11万点もの文化財をごそっと博物館に移動してしまうなどということは、しかも、それを図書館の協議会の正式な協議事項にもかけずに行おうとした。また、博物館の協議会での議事録を拝見しても、これは皆一様にそういうことについての驚きの声、懸念の声が記録されております。
 だから、教育長がそういう平成11年、13年のことがあるからその流れの中で今回このような判断をしたというのは、今反省の言葉がありましたらそれは是といたしますけれども、現実に先ほど言ったように今の図書館行政の中では何ら状況としては変わっていないわけです。
 だから、こういうことについて職員の資質あるいは態度あるいは考え方、これは原則として我々が外部から言わなくても本来とやかくおのずからわかるところはわかるわけで、ですから、それが事実であるとすればそれなりの措置をするというのが組織としてのありようです。ところが、全然そういうことについて行われていないということが私は大変遺憾に思います。
 それから、今お話があった貴重な資料の保管上の目的で24時間空調の施設に移した方がいいという理屈づけなんだけれども、これも、これは常識的に考えればすぐおかしいとわかるわけです。なぜかというと、例えば古い書物があるとします。300年前につくられた本が今日まで残っている、そういう貴重な図書があるとした場合に、今までの300年間で24時間空調をした時間なんていうのはあるはずないでしょう。それでもちゃんと残るものは残っているんです。ですから、特に明治以前の書物であればほとんどが和紙に書かれたり、あるいは印刷されたりしているものであるから、和紙の強靱さというのは大変なものですから、だから劣化をしているということを一つ考えたって、昔から使い込んでいれば当然劣化するわけですから、それが温度とか湿度で劣化をし始めたなどと言うこと自体がもう理屈に合わない、理屈をこしらえているということが、これはだれだってわかります。
 ですから、国立図書館あるいはそのほかの権威のある方々が宮城県図書館の保管の現状についてだれ一人として問題があるということを懸念している人はいません。すべての方が全く宮城県図書館の管理のあり方は遜色がないというふうに言っています。ある方は図書を図書館に保存し利用に供するのは理の当然で、現在何ら不備のない状況下に博物館に移管する必要は全くないものと考えますと、恐らく全国研究者の失笑を買うのではないかと愚考されますというふうな言葉もあります。
 そのほかいっぱいありますけれども、こういうふうなことで教育委員会の正式な議題にもかけずに進めようとしてしまったこと、これこそまず猛反省をして、今後こういうことは一切行わないようにするという、新たな決意を教育委員会として示すことこそ今一番求められていることと思いますが、いかがですか。
◎(教育長) 
 先ほど申し上げたところでありますが、今回の移管の問題というのはかつて行われた移管とは重要度が違うと、極めて重要な問題だというふうに改めて認識をしているところでございますので、十分に今相沢委員から御指摘のあったようなことも含めてさまざまな御意見を総合的に踏まえて論点整理して、今後の方向性を出したいと思っております。当然その際は教育委員会で十分議論して後々問題が起きないようにしっかりと方向性を固めていきたいというふうに思っております。
◆(相沢光哉委員) 
 教育長、宮城県図書館の入り口に、正面とわきと両方ありますけれども、あそこに掲げられている標語というのを御存じですか。
◎(教育長) 
 承知しておりません。
◆(相沢光哉委員) 
 これは図書館の自由に関する宣言という言葉です。図書館の自由に関する宣言。これは宮城県図書館の考え方ではなくて、日本図書館協会、要するに日本全体の図書館の運営をしている責任者の方々が協議をして文言にまとめたものです。これは当然日本だけではなくて、世界各国の図書館のありように関しての基本的な思想、考え方をここに言っているんですけれども、短いものだからちょっと御紹介しますと、図書館の自由に関する宣言として、第1、図書館は資料収集の自由を有する、第2、図書館は資料提供の自由を有する、第3、図書館は利用者の秘密を守る、第4、図書館はすべての検閲に反対する、図書館の自由が侵されるとき我々は団結してあくまで自由を守る。こういうふうに書かれているんです。
 ですから、図書館にあるべき資料を保管上の問題だからといって博物館に移管してしまうなどということは、まさにこの図書館の機能、役割を考えた上でその自由を奪うことと等しいものです。いかがですか。どう思いますか。
◎(教育長) 
 今回の問題の本質的な論点は、図書館が持っている歴史ある貴重な資料をどうやってよりいい状態で後の世代に引き継いでいくかということと、その資料をどういう形でより県民がアクセスしやすい形にするか、この二つだろうと思っております。そういった観点から、どういった形で将来的にその保存、保管し、あるいは利活用を図っていくかということを幅広い観点で検討していきたいというふうに思っております。
◆(相沢光哉委員) 
 念押しをするようだけれども、そのことであればなおさら図書館は専門の職員として司書という方々がいるわけです。博物館には学芸員という専門員がいます。しかし、学芸員は図書の由来とか、あるいは類書がどこの図書館にあるとか、あるいはそれはどういう全体としての流れの位置づけで、どういうポイントになっているかとか、そんな知識は学芸員には一切ありません。まして11万点余の文化財を指定を受けるときに、博物館の学芸員がそれをサポートした事例も一つもありません。
 要するに図書館のものは図書館に置いておいて、そして、それを有効活用していく、それこそが一番県教育委員会として配慮すべきことであって、そのことが何か支障があるんだったら図書館の施設あるいは組織の中で検討していくということがごく当たり前の発想です。それを全くほかの方に移してしまうなどと画策すること自体が土台大変な間違いだったということを−−これは先ほど例示したような大変問題があって、図書館協議会会長はその2月の時点でみずから辞職をしているわけです。ところが、県教育委員会の方のその辞職を受け付けた日付というのはそれから更に5カ月もたってからの日付にしているように、そういう問題を隠ぺいしようとまでしているというふうに考えられる状態があるわけです。
 だから、これは本当に今細かいことをこれ以上もう申し上げませんけれども、さまざまな観点から考えてもこんなことが二度と起こっては困る。ですから、絶対こういうことをまた再び考えたりしないように、論点整理云々と言って何かまだあきらめ切れずにあがいているような印象すら感じるので、ぜひそういうことは一切なく、この結果というものを重く受けとめて、将来とも図書館は図書館、博物館は博物館としての内容充実にむしろ努めることが今宮城県教育委員会教育長としての一番の責務であるという自覚をぜひ持っていただきたいと、このようにお願いいたしまして私の質問を終わります。
◆(岸田清実委員) 
 私のところにも、各委員のところにも行ったと思うんですけれども、各専門家、各方面の方から保管状況は適正である、移管する必要は全くないという趣旨の非常に多数の見解書、まとまったものが届いておりました。
 今、各方面の意見を聞きながら論点整理というお話ですけれども、一方で現状で適正に管理しているというのはたくさん読みますし、マスコミにも各方面の方がそういう意見を言われているようなものが載っていますけれども、いわゆる専門家とか、そういう方で移管すべしという意見は届いているんですか。
◎(教育長) 
 現在では基本的に事務局レベルでの論点整理でありまして、これである程度論点整理された上で必要に応じて専門家の御意見を伺っていきたいというふうに思っておりまして、いつまでに何をしようというふうなスケジュールは今のところ持っておりません。十分に時間をかけてまず事務局として論点整理をしたいというふうに思っております。
◆(岸田清実委員) 
 これだけ話題になっているわけですからいろいろな声が県教育委員会に届くのがむしろ当然であって、そういう意味では多分専門に携わっている方で移管すべしという意見を持っている方は恐らくいないというふうに考えざるを得ないわけです。だから、そんな中で時間をかけて論点整理というお話ですけれども、この問題についてやはり一定のところでけりをつけて、保管状況に部分的に修正すべき点があるならば相沢委員おっしゃったように現在の図書館に手を加えていくとか、聞くところによれば多額の費用をかけなくても十分そういう対応がとれるという話も伝え聞きますし、そういう検討にむしろ入ることこそが県民の宝物である古書、古典籍を適正に管理していくことにつながっていくのではないかというふうに思いますけれども、どうですか。
◎(教育長) 
 ただいまの御意見も参考にして今後検討してまいりたいと思います。

宮城県図書館の古典籍移管問題について/東北学院大非常勤講師・萱場健之

 私は宮城県図書館の旧職員で、在職中は主として古典籍の整理を担当しました。退職して10年以上たちますが、2月25日付河北新報報道には驚きました。全国の図書館・研究者から評価されてきた、「図書館の誇り」というべき古典籍をすべて東北歴史博物館に移すことに決まったというのです。私は長い期間、これら11万点余の資料を先輩たちと整理し、5冊の目録として刊行しました。そのほとんどを見、触れていますから、糸とじ本一冊一冊に愛着があります。
 その後、県議会に「移管の即時停止並びに移管決定に至る手続きの公開」の請願があり(私も参加しました)、「宮城県図書館のあり方を考える会」などの応援もあって、請願は採択され、移管は停止となりました。
 県教委から9月1日、請願者宛に「移管作業は停止するが、県民から意見をもらって再検討したい」との通知がありました。どうやら移管問題の論議は継続の模様です。そこで、県教委の文書に記されている移管決定の理由の3項目をそのまま掲げて、私見を述べてみます。
 (1)「県民の財産である文化財資料等を適切に評価・管理するためには、専門の学芸員による調査研究が必要」
 「文化財資料」という名称は、文化財保護の観点からの呼び方で、図書館では古典籍・古書というのが普通です。図書館の役割は、誰でもすぐに探し出せるように整理し、目録を刊行し、使いたいという人に使ってもらうことです。特に文化財指定のために調査研究が必要なときは、図書館において司書・学芸員・専門家の共同作業で行うべきです。
 (2)「文化財資料の保管にあたっては文化財保護に適した保管環境機能が必要」
 県図書館は1998年の新築移転に際し、県教委と協議して、多数の古典籍保管のため古書を数冊まとめてくるむ「ちつ」を外注しました。また貴重書ならびに仙台版版木を保管するのに、旧館にはなかった貴重書庫を作り、その他の古典籍は最上階の書庫に収蔵しました。十分な対応と確信しております。
 図書館長は6月30日付河北新報に「文化財資料の収蔵庫は、空調管理と断熱構造に問題があり、資料が劣化しつつある。早急に移管すべきだ」と述べております。しかし、具体的な劣化の例は全く挙げておらず、ただあるべき空調管理の数値をあげているだけです。
 古典籍の多くは江戸時代の手すき和紙を用いた書物です。さまざまな環境のなか何百年も生き続けてきたものばかりです。秘蔵するより、県民に公開すべきであります。
 (3)「文化財資料を広く県民に公開するためには的確な展示企画機能、十分な展示スペースが必要」
 まさにこのことのために、図書館新築の際、二階に展示室を作り、「本の歴史」の常設展とそのときどきの企画展を行っています。いまの展示室が不十分な理由を伺いたいものです。
 最後に。和本専門の古書店主の橋口侯之介氏は『和本入門』(平凡社)で、「和紙が千年残ることは実証済みである」とした上で、和本を生かす方法を「敬して遠ざけるのでなく、身近で親しめる対象として見ること」と述べ、図書館では文化財として大事に保管すべき本と自由に閲覧してもいい本の区別をすればいいと提言されています。
 まさに従来の県図書館はそのようにやってきたのです。
                  (河北新報平成23年10月9日朝刊掲載)