公共図書館の本質
宮城県図書館に残る古典籍の多くは、青柳文蔵をはじめとし、仙台藩及び宮城県ゆかりの書物蒐集家の寄贈を受けて収蔵されたものである。先人の著作に学び、自身の思索や発見を加えて新たな著作を創り出し、家蔵書物と共に寄贈する、その連綿とした繋がりが公共図書館の本質ではないだろうか。
生涯をかけて蒐集した1万冊の書籍の散逸を怖れ「青柳館文庫」の永続的維持を望んだ青柳文蔵が選んだ道は「公廉詳密」(私欲なくけじめがあり行き届いてもれがない)(倉記)であるべき管理者である「仙台府」に蔵書を託すことだった。
つまり文蔵は「書籍は我々が寄贈する、運営管理者は「公廉詳密」である公的機関が永続的に行わなければならない」と言っているのではないだろうか。今の指定管理者制度はその正反対であって。資料費もしくは資料選択権は地方自治体が持つ。運営管理は利潤を追求する民間企業でやってみてくれ。というようなものではないかと思う。